まーてぃん@Samuraion

面白いと感じた事や、興味のある事などを紹介しています。

カテゴリ: あたまの整理

pandachan
先日も書きましたが、今月は本当に色々ありました。
まだ完全には解決しておりませんが、少しずつ目処が立ちつつあります。かなりピンチでした。
ちなみに株とかそういった投資の類ではありません。
私の知り得ぬところで事が大きくなっていました。(私にも責任がありましたが・・なんというか監督責任とでもいいますか。)

世の中も未だ不確実な状況ですが、現在の私も同様で少し折れそうなところがあります。それでもいつか明るい日が来ると思いますので、なるべく笑顔でいたいと思います。
( ´∀`)

なんだか本業と関係ないところでバタバタしております。
なるべく隙がないようにと思って生活していますが、突然とんでもないところから問題はやってくるものですね。コロナショックもブラックスワンとか言われてますし・・・
今回のは結構深刻でなんとか今月中にかたをつけたいと思っています。

いくら準備しても完璧ということは無いのはわかっていますが、今回は油断しておりました。
ちょうど先日NHKで磯田道史さんが良いことを語られておりました。その直後に私にブラックスワンが飛んできたので、ショックと驚きが!
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まだまだ私は甘いということがわかった1週間でした。もっと「反実仮想」で”リスク対応力をつけなければいけない”と自分に言い聞かせる意味で、あえてここに記しました。

磯田道史さんの放送内容・動画が記事になっておりましたので、興味のある方は下のリンクからどうぞ。

薩摩の志士に学ぶ“リスク対応力”
(NHKおはよう日本)



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このブログの初期の頃、カテゴリの「動画紹介」のページで面白いと思った動画をよく貼り付けていました。その頃はまだgoogle videoがあって、英語検索した動画を載せていました。まだ日本語にもあまり対応しておらず、更に日本からの参加者もほとんどいなかったので、珍しかったのかわかりませんがこのブログのPVも結構出てました。
丁度同じ頃にyoutubeが出てきてこれもまだ知っている人があまりいなかったので、同様に動画紹介でPVが出てました。
(youtubeもほぼ英語でした。そしてその頃のyoutubeは結構過激でした。東北道を300キロオーバーで走る動画とか普通にありました。今ではすぐ通報です。)

それがまさか後にgoogleがyoutubeを買収するとは思ってもみませんでした。
このブログの動画紹介内にある過去ログを見るとリンク切れの残骸がまだあります。

当時は、ブラウザなどの言語設定を英語に変更して海外サイトを頻繁に検索していたりしました。(現在は言語設定を変更してもグーグルなどでは海外検索できないと思います。少しコツが必要です。)
海外在住の日本人ブロガーと繋がったり、今でいうインフルエンサーのような人やサイトを巡回していました。そんなこともあってgoogle videoやyoutubeはもちろん、facebookなども結構早い頃から触っていたと思います。
(facebookは海外の人と繋がりたくてアカウントを作った記憶があります。当時はまだモバイル版もなかったし、翻訳サイトなどを使って一生懸命英語で文章を作っていました。)

飛びますが、英語といえばGoogle AdSenseの登録を思い出します。当時はすべて英語のみで申請をして審査してもらう手順だったので、とても慎重に、そして緊張しながらアカウント登録をしたことを憶えています。
初めてグーグルからエアメールが来た時は感動しました。
「すげぇ、アメリカからキタ!」


現在は、スマートフォンなどの登場で様変わりしました。すごく便利で簡単になりました。
AIなどで翻訳の技術も驚異的に進化したし、様々なサービスも日本語対応する速度が早くなりました。

そしてその一方で今更ブログで記事を書くということは、ある意味時代に逆行しているのかもしれません。
でも良いと思っています。以前も書きましたが「あたまの整理」なので。

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ボラティリティが上がってきました。難しくてそして面白い。先週から今週にかけて、担がれた人、大きく儲かった人、様々だったと思います。
FXに関しては動いてくれないと話にならないので、実体経済を抜きにして良い傾向だと思います。私は先週からのポジションが良い具合に乗ってくれましたが、今週の新規ポジションはマイナス。2週間ではプラスでした。しばらくは難しい局面が続くのかもしれませんね。それでもボラが高い方がありがたい。

NY株もジェットコースター相場で、投げや踏みで賑やかです。
新型コロナウイルスで「コロナショック」とか言われていますが、次は「バッタの食糧危機」でしょうか。イランとかパキスタンとか結構酷いみたいですが、これ、中国にも本格的に飛来したらと思うと恐ろしい・・・

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WTIの動きも気持ち悪い・・・

以前、個人取引について書きました。価格が総じて高い旨の意見を述べました。しかし・・・
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写真はかなり前にオークションで購入したDJミキサーです。送料込みで2000円ほどでした。(送料がおよそ1300円位だった気がします)
こういう品物は実は安いこともあります。どういうことかというと簡単な話で、とにかく不人気なんですね。

ベスタクスといえば当時は高嶺の花でした。(写真の商品自体は上位モデルではないです)
しかし現在は一部の人を除き見向きもされない。そもそもベスタクスの会社自体が消滅してるし。それでも昔を知る私にとっては「こんな値段でほんといーの??」というのが率直な気持ちです。

私はかつて幸運にも楽器店で働いていた経験があり、ある程度の目利きができます。(当時の商品に限ってです)
楽器についてその目で見てみると、個人取引においてやはり高いと思うものが多い。経済的に余裕が出てきたミドル世代から上が購入している感じがします。高いものはメジャーな商品や希少な商品が多い気がします。
その一方で隙きを突いて、写真のような不人気商品はゴミみたいな扱いをされている。そういう物を発見した時は笑ってしまいます。

最近はパソコンの液晶モニタをウォッチしています。少し旧式なやつ。これもゴミ扱いされていますw
皆様も昔に思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。ゴミ扱いをされているモノが発見できるかもしれません。

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昨日の記事でもポジションを紹介しましたが、私は外国為替証拠金取引(FX)を趣味で続けています。始めてからまだ9年位ですがのらりくらりやっています。本気ではやっていません、趣味の範囲です。株も少し所有していますが、それも遊びです。ほぼ塩漬け・・・含み損です。配当を貰い続けているだけの状態です。

巷ではFXのことを投資などと言っていますが、私にとってはただの博打(遊び)です。もともと私は賭け事が好きなんだと思います。パチンコやスロット、競馬など、ギャンブルはある程度通ってきました。ハマる体質なんだと思います。(その辺のギャンブルは20年ほど前にほぼやめました)

FXと出会ったのは書店でした。たまたま平積みされていたFX関連の新刊を手に取ったところから始まりました。それから飽きることなく続けています。今のところ、相場から退場になっていないので運が良かったのだと思います。

今改めて始めたばかりの頃を思い返してみると、とてもとても恐ろしい・・・熱くなって無茶な玉ばかり作っていました。最初に運良く含み益が出て調子に乗っていました。
持ち金およそ5万円でオーストラリアドルをロングし、レバレッジで積み増し70万円位までになりました。手持ちのお金が不労で14倍までになって麻痺していました。スワップも毎日入るし。なんとなくぼやっと「100万なったら一回やめよかな」なんて思っていました。
その後・・・FXをやっている人はわかると思いますが、以前はオセアニア通貨が落ちる時は本当に速度が速かった。結局、何もわからないド素人の私は急落をただ見守るだけで、含み益をすべて放出。何とかプラスマイナスゼロでカットしましたが「一体なんだったんだ」と悔しい思いをしました。(後にこの ”悔しい” とか ”嬉しい” とかそんな「メンタル」が失敗の元だということに気付くのですが・・・)

まあ、そんな悔しい思いから勉強というか、それからあれこれ読んだり見たりしました。(今となっては ”遊び” なので、「勉強」という表現は正しくありませんが。)
それでも知識を得たからといって利益が簡単に出るものでもありません。一昔前は参加者の9割が負けると言われていました。(現在は9割よりももっと負ける確率が高いかもしれません。)
そんな状況で私は「1割も勝てるなんて、なんて高確率なんだ!」と ”お馬鹿” なので思ってしまったのです。
それからトレードをやり続け、勝っては負けを繰り返し今に至ります。今は少額でちびちびと遊んでいます。何年も追加で証拠金を入れていないので、私の中ではとても優秀な遊びです。


何よりこの遊びを発見して一番良かったのは、世の中の物事に色々興味が持てたことです。
通貨は様々な要因で変動するので、政治・経済・世界情勢、何でも知りたくなります。まさかコモディティなどを毎日ウォッチするようになるとは思いませんでした。株などもそうですが、投資・投機をしようと思うと視野が広がりますね。選挙も欠かさず行くようになりました。

個人的な意見ですが、日本人は総じて金融リテラシーが低いんじゃないかと思います。
「子供の頃からもっと教育すればいいのに。」とか思ったりします。この ”遊び” を知ると、視野が広がるし実生活でも役に立つことが多いと思います。

KFC
会社を退職しておよそ1年半になります。環境が劇的に変化して良いことが大半でしたが、困ったことも少なからずあります。
色々ありますが最たるものはカラダの変化です。退職した直後からおよそ2ヶ月で5キロ太りました。
前職は割と体を使う仕事だったので、食事にあまり気を使わなくても太ることはありませんでした。退職してからは在宅での仕事がメインになったので、体を動かすことが殆どなくなりました。
・・・あっという間でした。

太るのは簡単ですが痩せるのは大変ですね。
特にダイエットをしようなどとは思いませんでしたが、若干洋服に苦労するようになったので考えるようになりました。
太るということは単純な話ですが、摂取した栄養に対して体を動かして消費しきれていない、逆にいえば摂りすぎということです。本格的に運動する気もなかったので、食事を少し気にすることにしました。
量を減らしたり、食べるものを考えたり・・・んー、なかなか痩せないし、長年の習慣を変えるのは中々つらい。それでも ”食事を気にする” ことだけはダラダラと続けていました。半年たっても痩せませんでした・・・それでもダラダラ続けていました。
すると半年と少しを超えたあたりから、気づいたらその ”食事を気にする” こともつらくなくなり、体重も減少傾向に。太ってから丁度1年ほどで離職前の体重に戻りました。

時間軸は別として、何かをしようとする時、初動は面倒だったり辛かったりするものですが、習慣化すると徐々に苦にならなくなって良い方向に向かうものですね。
今回の体重の件以外でも私は何かを行う際、面倒でもまず手を付けて「始める」ことを意識しています。手を付けてしまえばおおよそ最後までやらざるを得なくなるし、それが習慣化されていけば、後に「習慣」から「自動化」に変化して、最終的には意識とは別のところで言わばロボット化して勝手に完結するようになります。

私は普段から何事も「最初」を意識するようにしています。もちろん、うまくいかないこともありますが。

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昨年から髪を伸ばし始めました。まだそれほど長くありませんが、肩位までは伸ばしたいと思っています。いい歳して気持ち悪いという意見が聞こえてきそうですが全く気にしません。むしろ気持ち悪いという意見を持ってもらっただけでありがたいと思います。企業・組織のしがらみが無くなったので好きなことをしたいのです。

そもそもダイバーシティのご時世に髪型やら服装に縛りを設ける風習自体がバカバカしいと思いますが、現状では組織に属していくには、ある程度のそのバカバカしい縛り(ルール)を守らなければなりません。そこから開放されたので、アンチテーゼの意味もほんの少し込めて気持ち悪かろうが好きな髪型にすることにしたのです。


立ち返って、その ”気持ち悪い” とか ”格好悪い” など、人からどう見られるかというのは案外気になるものです。ある意味で自分のレーティングを気にするというのは誰にでもあると思います。先日にも「感じない」の記事で書きましたが、私はそういうものは捨てることにしています。そのかわりカッコイイでも気持ち悪いでも、とにかく他人の心に留まり印象に残ればそれで良いと思っています。

経験則ですが、案外他人は自分のことを見ていない(気にしていない)ものです。
自分のことを見ていない他人の為に右往左往するのは、かなり昔にやめてしまいました。誰がどこで自分の陰口を言っていようが気にしません。対して私も他人のことはあまり興味がないので、陰口を言う側になることもありません。
このマインドになると本当にラクです。会社員だった頃は、上司に誘われようが行きたくもない飲み会は断ったし、群れることもしませんでした。(裏で何言われようが気にしません)
すると、あまのじゃくなのか何なのかわかりませんが、逆に人が寄ってきたりするから不思議です。

私は興味のない人とは関わりません。だから友人もあまりいません。よくドライだとか冷たいとか言われますが、それで良いと思っています。興味もなく好きでもない人の為に時間を使うのはサイアクです。過度な社交辞令もしません。ごく近しい人にも気になることがあれば時には強い言葉で意見します。
他人から ”こう思われたい” とか考えるようになると、本当に窮屈だと思います。常に良くも悪くも正直に生きていると、不思議と少数精鋭の心強い味方だけが周りに存在するようになると思います。

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私は自分のメンタルに葛藤することが多々あります。
元々感情の起伏が大きいのだと思います。小さなことで一喜一憂する傾向があります。他人にとっては何でもないことで怒ってしまったり、ちょっとしたことで未来に期待したりします。かつてはそれが原因で後悔したり、落ち込んだりすることがありました。

長い間自分なりに考え、辿り着いた対処法が、”2歩目で感じない”ということでした。
本能というか、本性というか、初動(1歩目)の根本的なメンタルは中々コントロールできないので、その次の段階で不感になろうということです。
1歩目で怒ったり喜んだりしたら、(2歩目として)間髪入れずに自分に暗示をかけます。

「・・・気にならない・・・何も感じない」
という具合です。

バカバカしく思うかもしれません。しかし、これが私には合っています。
そもそも人間らしさのひとつである「感情」によって様々な問題が引き起こされているのも事実です。昔のことなんて忘れてしまえばラクなのに、感情やプライドが邪魔をして個人に留まらず国同士ですらケンカしたりしています。
その点、何も感じなければ(感じていない暗示をかければ)、とてもラクになります。

先日もとある車ディーラーに行った際に、頼んでいたサービスが約束の時間に間に合わないということがありました。先方はとにかく謝っていましたが、私は「暗示」のおかげで何も感じない・・
その結果、先方は謝ることから感謝するというフェーズに。ネガティブである”謝罪”からポジティブな”感謝”に変わったことで、お互いに気持ちよくその場を終えることができました。
他にも例えば、やっている方は共感して頂けると思うのですが、株やFXなどの投機(投資ではなく敢えて投機とします)もメンタルでかなり収支が変わると思います。一喜一憂しているとろくな事がないですね。(最近はCOVID-19で中々のボラですね)

生活すべてに当てはまるとは思いませんが、不感になるということは処世術として案外機能するものだと思うのです。
野心や欲に対しても不感になれば、環境などの周りにも期待しなくなるし、未来に対しても自分の中で”想定”をすることがなくなるので、がっかりしたり落ち込むことがありません。依頼心も無くなります。

後ろ向きな不感でなければ、毎日が楽しくなります。そもそも大抵のことに期待していない(感じていない)ので、小さなことで幸せな気持ちになったりします。そもそもいつ死ぬかわからないので、その日その場を楽しめるマインドでいることが、私の”動機”になっています。

bcoin - コピー
私は何かを得る際、”能動”と”受動”を意識するようにしています。
例えば情報については、能動的に得る際はパソコンやスマートフォンのニュースサイトなどがそれにあたります。
対して受動的な代表は紙の新聞です。
インターネットのニュースは僅か数文字の見出しを見て自分で選択して読みますが、それでは興味のあるものに偏りやすい。(最近はクッキーなどを利用して偏った候補が出てきたりしますね)
反面、紙の新聞は一見するだけで、興味の無いものまで情報が飛び込んできます。私の場合、この”受動”を重要と考えています。意外な発見があって楽しいのです。もちろんアプリなどで新聞社の同じ記事を読むことはできます。ただ、その「一覧性」のチカラは紙の新聞には及ばないと思っています。

書籍も同じです。普段アマゾンなどのネット通販やキンドルなどの電子書籍も利用しますが、「一覧性」という意味では、やはり実店舗の本屋さんは素晴らしいと思います。私は月に数回は割と大型の実店舗に足を運びます。最低でも1〜2時間程度はウロウロします。そして目に留まった書籍を、紙の媒体の方が良いと思うものは購入し、それ以外は電子書籍で購入します。この辺の好みは分かれると思いますが、やはり好きな本は紙の方が断然良いと思っています。
秒で動く優秀なビジネスパーソンなどは、「荷物になる実物(紙の書籍)は効率が悪い」という人が多いと聞きます。それでも良いと思うのですが、私は古い人間なのでやはりアナログな部分も捨てがたいです。

音楽もパソコンのハードディスクに大量に保存していたりサブスクも利用したりしていますが、CDやレコードがずらっと棚に並んでいる光景は、とてもアナログですがこれも捨てがたいです。聞きたい曲をすぐ見つけられたり、忘れていたアルバムを思い出したりという楽しさ・利点があります。

先日書いた「散らかす」話もある意味「一覧性」ということかもしれません。
この先益々デジタルな世界になっていくと思いますが、アナログな世界も少しで良いので残って欲しいと切に思うのです。

hinomarutensu 直近、ジモティーのIPOも話題になりましたが、個人間取引は今や当たり前の時代になりました。ツールやサイトがいくつもあり便利になりました。私も時々利用しています。
最近思うのは、その市場も成長し飽和というかキャピタリズムの原理というか、そのメリットが薄らいでいるような気がします。原因が売り手なのか買い手なのか、はたまたその両方なのかはわかりませんが、いわゆる ”掘り出し物” になかなか出会わなくなりました。悪い言い方をすれば”ゴミ”のようなモノに高値が付き、送料も考えたら新品を買った方が良いのではないかと思うモノも多数あります。それが市場原理と言われればそれまでですが。

 私はオークションに落札で参加する際、最初に自分の中の限度額で入札したら、ナンピンかのごとく追加入札はしません。そうすると大抵落札することができないのですが、事の行方を見ると熱くなった(?)人たちが次々応札を繰り返し、考えられない金額で帰結したりします。
 メルカリを見ても高いですねぇ。言い換えればある意味 ”適正価格” ということになるのでしょうが、掘り出し物に出会うことが少なくなったので、進んで利用するメリットがなくなってきました。

 ジモティーに関しては、掘り出し物に出会うことは今のところまだありますが・・・結構面倒ですね。
目的のモノがあったら、 ”早いもの勝ち” みたいなところがあるので毎日ウォッチしてないといけないし、自分で直接取りに行かなければならないし・・・割かれる自分の時間を人件費として考えれば、場合によっては割高になることもあります。そして、何より直接会っての取引なのでちょっと怖かったりします。どんな人が相手かわかりませんから・・(参加したい女性にとっては壁かもしれません)
それでも、掘り出し物が見つかることがあるので、片手間に軽い気持ちでウォッチして時々参加しています。(本腰で参加してると疲れるし時間がかかります。)
 直近では関わっている商売で必要なモノを取引しました。7万円程する商品を1500円で譲って頂きました。たまたま自宅から近かったので運が良かった。オークションに出品すれば3万円位は値が付いたと思いますが、その方にとってはその手間より直接取りに来てもらう方がメリットがあったのでしょう。個人間取引の好例だと思います。

私にとっての個人間取引は、熱くなると良い結果にならなかったり疲れたりするので、クールにドライに向き合うのが良いですね。みなさんはどうでしょうか。

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先日知人に会った際、グチというか相談というか知人の子供(小6女子)の話になりました。
”言ったことを後回しにしてやらない” とか ”時間を忘れてスマートフォンに夢中” とか。
いつの時代もすることに違いがあっても、親の悩みは変わらないのかもしれませんね。

そこで、そもそも ”子供がスマートフォンをずっといじっているのはどうか?” という話に。

親だから心配なのはとてもわかります。しかし私は、”どんどん触れさせた方が良いのでは?” と返答しました。時代は加速度的に進んでいて、現代の生活ではネットを避けて通ることはできません。親(大人)の管理のしやすさから、子供をネットから遠ざけるのはちょっと違う気がします。
ペアレンタルコントロールとか色々言われていますが、そんなことをしても子供はその穴を見つけて隠れてやるだけの話です。それがたとえ親のスマートフォン・パソコンでなくても友達の家に遊びに行ってやるだろうし、学校や図書館等々パブリックな場所でも堂々とネットにつながることができるので、完全にネットから離すことはできません。触れさせないこと自体が不可能な世の中だと思います。
だったら、有害なサイトを見て感化されたり、犯罪や事件に巻き込まれたりしないように、親がそのリテラシーを身に着けさせるようにすれば良いのだと思います。(大変難しいことだとは思います)
使い方次第ではとても有益になる ”ネット” というツールをその有害リスクを理由に手放すのは、それこそその子供の将来のリスクになり得ると思います。

かつて、ゲームセンターから始まりファミコンの時代に変遷していった過程では、「ゲームは害だ」とか「ゲームの影響で犯罪が起きる」「ゲーム脳は深刻な問題」とか色々言われてきました。時代が進み果たしてどうでしょうか。(害であったはずの)ファミコン全盛期である ”76世代” が新しい様々なコンテンツ(商品)を生み出し、上場に至る企業も多々あります。
池上彰さんも書籍かテレビか忘れましたが、戦後凶悪犯罪は減少していると語っています。ゲームから始まりネットに続く環境下で、本当に子供(人間)に悪い影響があるならば犯罪は増えるはずです。

私は知人に、子供がスマートフォンに夢中になるのは悪いことではないのではないか、むしろ他の事を忘れて夢中になれる(好きなことに夢中になる)のは良いことではないかと伝えました。
ただ ”最低限やらなければならないことをどうやってやらせるか” を考えるべきではないかと。
その子に合った適切なそのロジックができれば、好きなことをやらせてあげても良いのではないかと・・・

知人にとってはただのグチだったと思いますが・・・そんな話を小一時間して、その知人は明るい顔で帰っていきました。
親って大変ですね。

nytks私は普段自宅では主に2ヶ所で過ごします。食事や好きなことをする場所と仕事をする場所です。
そしてその2ヶ所とも散らかっています。正確にいうと散らかしています。
言い換えれば、”整理された散らかし” です。
既述した通り、飽きっぽい性格なのでひとつのことに中々集中できません。フロー状態になればかなり続くのですが、そこに至るまでが長いし、いつそうなるかわからない。
いざ何かをしたいと思った時に、道具を探したり資料を用意してるうちに、集中モードに至る前に飽きてしまいます。
そうです、よくある駄目な人です。
そこで行き着いたロジックが「散らかす」ということです。
毎日は使わなくても、たまに使うもはそのパーソナルスペースに常備しておきます。(散らかしておきます)
何かをする時に「準備する」という行為で集中力を削ぎたくないのです。私のように意志力の弱い人間にしかわからないかもしれません。
ですから、私のデスクには「早く手に取ってくれー」と訴えるものがたくさん。
一部紹介すると、

■その日の新聞
■読みかけあるいは読んでいない書籍(平均10冊はある)
■英和辞典
■国語辞典
■英文法の教本
■英単語(熟語)参考書2冊
■持病の薬
■風邪薬
■のどスプレー
■ワイヤレスイヤホン2つ
■有線ヘッドホン
■筆記用具
■はさみ・カッター
■体温計
■リップ
■ハンドクリーム
■デスクトップパソコン
■ノートパソコン2台
■タブレット
■メインのスマートフォン
■サブのスマートフォン
■マウス1個(スタンダードなやつ)
■トラックボールマウス2個
■虫眼鏡
■ブルーライトカット眼鏡
■ティッシュペーパー
■予備のティッシュペーパー
■ウェットティッシュ
■エアダスター
■デスクトップパソコン・モニタ用のリモコン4個(普段5画面で使用)
■エアコンのリモコン
■アマゾンのアレクサ(アマゾンエコー)
■スカパーの月間番組表
■一眼レフ
■コンデジ
■充電器2つ
■ブルートゥーススピーカー2台
■カセットラジカセ
■DJ用のミキサー
■レコードプレーヤー
■CDプレーヤー
■エレキギター
■アコースティックギター
■エレキギターのアンプ
■プリンター
■シュレッダー
■手袋
■ひざ掛け

・・・・あほみたいだ
まだまだあります。改めて見直してみると可笑しい。
ただし、ひとつ決まりがあって、仕事用のスペースにはそれに付随するものしか置いていません。散らかってるけど。
仕事用のスペースは、好きなことをするスペースと敢えて離れた場所にしてあって、そのスペースに歩いて行くことで「スイッチ」が入るようにしてあります。
私のはこの方法(整理して散らかすこと)がかなり合っています。思い立ったらすぐ手に取れるというのは私の中では合理的です。次から次と物事をこなすことができます。
もし中々集中できない方がいたら試してみても良いかもしれません、おすすめしませんが。

kani普段、生活をしていると「何かをしなければいけない」と、強迫観念に迫られることがあります。そしてそう思いながらも何もせずに一日を終えると、一種の罪悪感や自分への嫌悪感で満たされたりします。

ああ、、またサボってしまった。
私はなんて駄目なんだろう。

仕事に於いても、何かしていないと ”サボっているできない人間” と思ってしまいます。
もしくはそう思われたくないので、常に何かをしていないと気が済まない。そういう人は多いと思います。きっととても優しい人なんだと思います。
そして、語弊を恐れず言うならば、そういう優しい人は損をする。

昨日の記事にも重複しますが、無理に何かをする必要なんてないと私は思っています。そして他人から見れば、サボりまくっています。そもそも私は世間一般的にいう駄目人間なので、タスク管理なんてしてないし、場渡り的に生きている感じです。
最初からそうだったわけではありません。毎年手帳を購入して、日々スケジュール管理をしていたこともあるし、PDCAやらなんやらの本も一通り読んだりしてきました。そういうビジネス本などの手法も試してきました。

・・・確かに効果はある。でも楽しくない。
楽しくないから、しばらくするとやりたくなくなってしまう。「やればできる」が嫌いな私は、できるかもしれないけれど、「やらない」を選択します。
そして昔の私はその事に対して罪悪感・嫌悪感を感じていました。
これは私の思い込みですが、この罪悪感云々は本来要らないものであって、幼い頃からの刷り込みに依るものだと感じています。親からの影響もそうですが、大きく言えば教育システムそのものに依るところもあると思います。
■「やればできる」をやる子供は褒められる。
■協調性のある子供は褒められる。
この2つをとってみても、現在の私には気持ち悪い。こんな刷り込みがあるから、やらない人は罪悪感を感じたりするのだと思います。
そう気付いたのは、結構大人になってからでした。
やりたくもないことを無理にやっても楽しくないばかりか、良い結果が出ない。

私の場合、基本やりたくないことはやりませんが、どうしてもやらなければならない事はロボットのようにシステム化することを目指しています。
何も考えずに気付いたら終わっている仕組み。
最短で終わらせる仕組み。
その仕組み作り自体は案外楽しい。そしてPDCAではないですがw、結果がうまくいくとまた楽しい。そうやって何とかこなしています。

やりたいことに関しては、これこそ計画性もなく止め処なく疲れるまで続けます。気付いたら朝だったことはよくあります。皮肉を込めて「選択と集中」でしょうか。
私の場合、それが丁度良く心地良い。
もし、日々罪悪感・嫌悪感に苛まれる人がいたら、私のような駄目人間もいますので、どうか自信を持って下さい。そして、うまくサボってやりたい時に集中して楽しんで下さい。

daruma人が行動する(営む)原動力は「価値」だと思っています。
当たり前ですが人それぞれに「価値」の基準があります。どんなに希少で高価であっても、その人にとって興味がなければ、それは「価値」のない”単なるモノ”でしかありません。
そして物質的なモノだけでなく、「価値」はあらゆる事柄に存在します。最近は経済誌などで、ビジネスに於いて「モノからコトへ」「物から体験の販売へ」なんてよく目にします。

そんな中、私個人の「価値」観は、周辺では理解されないことが多く、良くも悪くも”冷めて”いました。
それが、会社を退職し環境が変わって、すべて自分で決定することができるようになって、やっと自分の「価値」を取り戻すことができつつあります。
組織に属していれば、自分の「価値」基準を十分に理解されることは稀であるのは当たり前で、周りとうまくやっていくには我慢も必要です。ただその我慢も、心や体に支障が出るレベルになると考えなければなりません。
一番、難しくて簡単なその解決法は、

さっさとその環境から離れること。

・・・それを簡単にできれば悩むことはありませんね。
歳を取ると自分一人の体ではなくなることが多いので、若い頃のアルバイトのように、

”はいやめます”

は、なかなかできません。
その”はいやめます”をするのに私は10年かかりました。
組織に属していた最初の頃は、自分の「価値」基準、つまり考え方を理解してもらい、組織の常識にしようと試みましたが、これが難しい。
ガバナンスがしっかりした比較的大きめな組織ならば、目安箱みたいな制度があるでしょうが、企業に限らず小さいコミュニティ・組織はトップダウンなので、いわゆる「ボス」がいちばん。
ボス(決定権のある人)が変わらないと、組織も変わることができないのですね。
ボスが変わらない・・・だったら自分がボスになろうと。
そんな経緯で・・一種の恐怖を感じながら、私は会社を辞めました。

MBA関係の書籍ではよく出てきますが、考えない(変化できない)組織は後退しかないと。
以前の私の周りではこういう言葉を良く聞きました。

「しょうがない」「やるしかない」「頑張るしかない」「やればできる」

など。
反対意見の方は多いと思いますが、私の「価値」では、すべて大嫌いな言葉です。
一見、「前向きに動こう」みたいな言葉に聞こえますが、私からすればすべて嫌々行動する際の文言です。
努力や根性も嫌いです。そもそもスマートに結果を出す人は努力を努力と思ってないし、むしろ楽しんでいたりします。(フロー状態やゾーンに入ったり・・)
上記の「しょうがない」諸々も他の良い方法を考えない、ただの思考停止だと思っています。

■”しょうがなく”やるぐらいだったら、やらなきゃいいじゃん。
■”頑張る”・・・否、頑張らなくても効率良い方法があるのでは・・・?
■”やればできる”・・・やりたくないから、やらないの。だからできないの。無駄だと思うからやらないの。

組織を出て一人になった今、何でも自由に決めることができるようになって、開放されました。それが良いか悪いかは、ひとそれぞれの「価値」であって、私の考えを否定するのもその人の「価値」。それで良いと思います、その人の人生です。ただ、無理をしている人は少し立ち止まって「考えて」みてもいいのではないかと思ったりします。

benrinako昨日は取り敢えず試しに記事を更新したわけですが、”頭(脳)の整理”として文章のアウトプットをするにあたり、色々「考える・思い出す」ことがあります。

そもそも、なぜ更新する気になったのか。
ひとつは昨日も書いたとおり、

気持ちと時間に少し余裕ができたこと。

余裕ができると、これからの未来のことはもちろん、過去のことも振り返ることができたりします。
そして無責任に生きることができた過去の楽しい時間を思い出したりするわけです。
私の個人的な考えですが、人間は過去を美化して記憶する動物だと思います。乗り越えることができれば、辛かった経験も「あんなことあったな」程度に楽しいものとしてすげ替えるもの。
そして過去を「思い出す」ことで少し楽しい気持ちになったりします。

あの頃は良かったな。

みたいな。
そして私の場合10年以上、自分の中の感覚として”不本意に過ごしてきた”という認識や反省があり、

あの頃の感覚に戻りたい

と考えるようになりました。
大人になれば責任も伴いますので、100%思い通りにはなりません。しかし、少しでも”無責任時代”の自分に戻ることができれば、世の中が今より楽しく、輝いて見えるかもしれない。
そんなんで、”無責任時代”に好きだったことをまたやろうと。
最近はまた年甲斐もなくギターの練習もしていますw


ーーもうひとつの理由

それは、アウトプットすることのメリットを再評価したということです。
これに関しては様々なメディアで目にすることもあると思います。啓発本などでは本屋さんにコーナーができるほどですね。
”無責任時代”の私は、ただPVを稼ぎたくてブログのネタを年中探してアンテナを張っていました。
そのアンテナに引っ掛かったものを自分の言葉でアウトプットする。そんな毎日でした。
結果、無駄な時間もありましたが、得るものの方が大きかった。普通に生活していれば気づかないことも見つけることができたし、アウトプットすることで頭(脳)に定着しました。
そのメリットを再認識したということです。
(脳科学者の茂木健一郎さんも、過去の書籍でアウトプットに関して同様のことを語っていたと思います。)

アウトプットして頭を整理する。

これがこのブログを再度更新する大きな理由です。
”自分の中を見る”といいますかw

tubaara5年近く放置でしたが、まだアカウントが存在していることに気づき、試しに投稿してみます。

・・・まだ生きています。

このブログのアクセス解析のログを見ると、5年も放置なのに今でも1日5〜10件のアクセスがある(驚!!)
リファラを見ると検索サイトだけですけど。
(以前は常連さんも結構いました・・)

ということで(?)、誰も見ないであろうこのブログをただ自分の頭(脳)の整理の為に、気が向いた時に更新していこうと思います。


現在の私はというと・・かなり環境が変わりました。
ここ10年は仕事などが忙しく、ブログを触ることなんてできませんでした。
(その気もなかった)
今は、心にも時間にも少し余裕ができました。
10年以上働いた会社も退職し、法律的(?)には、無職ということになりますw
一応、フリーランスとうか、小さな商売の経営みたいなことを行っています。
会社務めの頃より金銭的に厳しくなりましたが、今の環境の方が数倍、人間らしく・自分らしくいられるので満足しています。

商売についてはまだ満足していませんが、一応最低限食べていく分だけは今のところ確保できています。
ただ、会社という組織に守られず、全て自分の責任となった今、先行きに対する「不安」というのもあります。病気などの理由で仕事ができなくなった場合、途端に収入がなくなってしまいます。
その点、人数がいる会社組織では代わりとなるリソースがあるので不安も少ない。
・・・ということで、
今はそのリソースをどう増やすか。現在の利益をどう増やすか。そんなことを日々考えたりしています。

このブログを始めたのは2005年。当時はまだ若く何も考えていませんでした。
過去の記事を見ると「恥ずかしい」しかありません。ただ、それも私の歴史でもあるので、敢えてこのブログに近況を綴ることにしました。

続きはまた。

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